学都仙台留学生小史
魯迅=周樹人の仙台留学は、仙台における「留学生」の歴史のはじまりでもある。1904年に魯迅が入学した時2人にすぎなかった仙台の留学生の数は、その後急速に増え、1911年頃には60人を越えていた。その後若干数は減ったが、1942年(昭和17)までの統計で、合計630人以上の留学生が仙台の学校で学んでいる。そのほとんどは中国・朝鮮半島・台湾といった東アジア地域の留学生で、特に中国からの留学生は全体の三分の二近くを占めていた。
このうち「東北帝国大学」に学んだ留学生はおよそ360人。日本人同様の「門戸開放」方針を留学生にも適用した結果、東北帝大には他の大学に比べ多様なキャリアを持つ留学生が入学し、少数ながら女性の留学生もいた。卒業生のなかには、中国現代数学の開拓者として有名な陳建功・蘇歩青など、優れた功績を残した人たちも多い。
このうち「東北帝国大学」に学んだ留学生はおよそ360人。日本人同様の「門戸開放」方針を留学生にも適用した結果、東北帝大には他の大学に比べ多様なキャリアを持つ留学生が入学し、少数ながら女性の留学生もいた。卒業生のなかには、中国現代数学の開拓者として有名な陳建功・蘇歩青など、優れた功績を残した人たちも多い。