魯迅と東北大学-歴史のなかの留学生 | 東北大学史料館 魯迅記念展示室

医学から文学へ

  魯迅の小説集『吶喊(とっかん)』(1921年)の自序によれば、医学生・周樹人が文学の道を志すきっかけとなったのは、仙台医学専門学校二年生のとき授業で見た日露戦争に関する幻灯(げんとう)写真のなかの、中国民衆の姿であったという。この話は小説「藤野先生」においても語られ、よく知られるところとなっている。そこには文芸作品としてのある種の創作が含まれていると思われるが、戦争に関する幻灯が学校で上映されたことじたいは、現在残されている資料からも確認できる。


仙台医専六号教室の「幻灯機」
いわゆる「魯迅の階段教室」。ドイツ語・物理学・化学などの基礎科目の教室として使われたほか、細菌学などの幻灯写真を上映する幻灯機も置かれていた。 仙台医専六号教室の「幻灯機」
いわゆる「魯迅の階段教室」。ドイツ語・物理学・化学などの基礎科目の教室として使われたほか、細菌学などの幻灯写真を上映する幻灯機も置かれていた。

魯迅の階段教室
周樹人が在学していた頃は、現在よりも30メートル程度東側に位置していた。内部も若干の改造を受けているようである。 魯迅の階段教室
周樹人が在学していた頃は、現在よりも30メートル程度東側に位置していた。内部も若干の改造を受けているようである。

仙台医専で使用された幻灯用のガラス板/当館蔵
戦争の場面が描かれるが、魯迅が述べているような「処刑」の画面は見あたらない。 仙台医専で使用された幻灯用のガラス板/当館蔵
戦争の場面が描かれるが、魯迅が述べているような「処刑」の画面は見あたらない。